古事記 最初に壱岐を生み、対馬を生んだ。重視されてた。
3世紀ごろ、倭人は鉄を買いに朝鮮へ。国産は6世紀ごろ。
対馬は土地(平地)が少ない、農業に向いていない。壱岐は田畑もできる。住民の性質にも影響。「対馬にはバーは70件もある」漁村の発想をなじる。
736 雪連宅麿 遣新羅使 の死。万葉集の中でも秀逸。
住民の性質も異なる。「対馬にはバーは70件もある」漁村の発想をなじる。農村はつつましい。漁業は個々の才能による、農業は勤勉であればある程度勤まる。農民は人事文化にエネルギーを、漁民は死と隣り合わせで敬語なんか使ってられない。「壱岐の人はずるい」
李氏朝鮮の徹底した廃仏。焼けた仏像が渡来する。
烽火台 狼煙の伝達。都まで!新羅の時代 700年代から。
目次
壱岐・対馬の道
対馬の人 壱岐のト部 唐人神 宅麿のこと 壱岐の田原 郷之浦 豆腐譚 曾良の墓 曽祖父の流刑地 神皇寺跡のの秘仏 風浪 志賀の荒雄 厳原 国昌寺 対馬の"所属" 雨森芳州 告身 溺谷 祭典の古俗 巨済島 山ぶどう 赤い米 千俵蒔山 佐須奈の浦
連載
1978/2/23/-8/25
アマゾンで買うなら
->街道をゆく (13)
0 件のコメント:
コメントを投稿